吐き出すもの

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同キャラ、嘔吐、パニック、リスカ表現あり
耐性の無い方はお戻りください。まだ普通の小咄もありますのでそちらをお楽しみ頂ければ嬉しいです
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 兄さんが心を病んでいるのは知っていたが。
「兄さん、行ってくるよ。朝だけでも食べてくれよ?テーブルに置いておくから。食べたらメールしてくれ、返事はするよ。じゃあ、いってきます」
 長い別れの言葉を告げ、兄の部屋から出て、扉を閉めきる直前に"いってらっしゃい"と小さく返ってくる。兄は俺には心を開いてくれているから、それがわかって嬉しかった。

 亮、行かないで、亮……。
 どんなに自分を呪っただろうか。今に始まったことではないけど、亮がいなくちゃ何も出来ない自分をどんなに殺したかっただろうか。
 布団から上半身だけ起こして、亮にいってらっしゃいを言った。
 亮が家から出ると、途端に寂しくなって悲しくなって、目眩がして動悸がして、激しい吐き気に襲われる。
「りょ、お」
 ああ、行っちゃった!どうしようどうしよう、亮がここからいなくなっちゃった……!
「うえっ……げっ、ゲホッ」
 びたびたと下品な音を立てて俺の口から布団へ落ちていく、限りなく固体に近い固体混じりの液体。一昨日食べた人参とハンバーグの色が混ざり、消化しきれなかったのかブロッコリーが鮮やかな緑色をやや薄めて戻ってきた。
 どんどん降ってきてどんどん積み重なるそれは、布団もパジャマも俺も全部汚していった。
 毎日こうだ。でも今日はかなりひどい。
(着替えと……雑巾、)
 取りに行くにも動く力が無い、今も俺の口からは汚いどろどろしたものが出てきてどうしようもない。
 くたくたしながら起き上がる。でも、あ、駄目だ、もう……。襲う目眩に俺は倒れて、でもまだ止まらない吐き気に俺は胃液を出し続けるだけだった。

 吐き気がおさまると気分が安定してきた。また吐いた、しかもこんなにひどく。亮にまた迷惑をかけた。
 亮はいつも俺に優しいけど、それは性格上で……、本当は嫌々相手をしてるんじゃないか?冷静になればなるほど嫌な考えが浮かんで頭をうめつくす。
「……亮ぉっ、りょお……」
 泣きながら汚れた服でカッターを手にする俺にはみすぼらしいという言葉が似合いすぎる。
 息を大きくし手首をあらわにし、次々出てくる涙を拭って、ゆっくりカッターを手首に押し当てた。ぷつりと緩い痛みが一瞬全身を回って、あとから出る血もまたぷつりと玉を作った。どきりとして唾を飲んで、次の線をえがく。手首から肘まで入れていき、段々息も荒くなり、カッターを持つ……にも力が入る。より深く入り込み、より大きな玉が出来る。切り付けるうちに傷は繋がり、皮膚が文字のようにめくれることもある。ただ幸いなことに、もう切られるほうの腕は感覚が麻痺していた。滴る血を見て、俺は痛みとなにかを感じている。
 その間にも口からはなにかは吐き出されている。

「ただいま、兄さ……」
 兄の部屋に入るなり強い異臭を感じ、ベッドを確認すると吐瀉物にまみれた兄がよこたわっていた。
「兄さん、兄さん!大丈夫か……!?」
「……りょ、」
 咳込み口元をおさえた兄の手首は、血と吐瀉物に汚れていた。

「亮」
「ん?なんだ、兄さん」
 あのあと、泣きながら謝る兄をなだめて部屋の掃除をした。お風呂に入れて、着替えさせて。
「もういいよ、俺は死ぬから、優しくしないで」
 なにをいうのか。
「亮の優しさが俺を苦しめる……苦しいよ。もう苦しいのは嫌だ……!亮は仕方無くやってるんだろ?俺がやらなきゃ家が汚いとか、本当は迷惑で嫌で面倒なくせに、兄だからってそんなこと隠してやってるんでしょ?俺はいつでも死――」
 はじめて兄を叩いた。はじめて兄の前に涙を見せた。
 ぼろぼろ、おとなげなく。
「な、なんで泣くの、本当のこと言われ……あ、あ、俺が死ぬって、おも……お、も、ったから、せいせいして、う、うれし、くて……」
「っ、違う!死ぬなんて言うから、死んでほしくないから泣いたんだ!」
 兄は今まで我慢してきたんだと思う。
「そうじゃない。伝えるのはいいことだけど、そうじゃないんだ、」
 今まで思ったこと。悩んだこと。自分、誰か、環境、ぜんぶに対してためてきたもの。
 泣いて泣いて傷つけることで安心してたもの。
「素直に、そのままでいいんだ」
 抱きしめた兄は細くて弱々しかったけれど。
 その声は今、何よりも強く、

「さみしい……」

 何よりも美しいと思った。


(実体化するそれは当たり前にいて)